残念ながら粂井さんは、これまでに何度か書いているように虐待と虐めの狭間で生きてきたので、「将来はケーキ屋さんになるー!」みたいな考えは幼稚園児の頃しか持っていなかったことを最初に書き記しておきたい。
幼稚園児の時の将来の夢はケーキ屋さんだった。理由は至極単純で、そうすればショートケーキが食い放題だと思ったからだ。子供の思考は単純である。ただ、粂井少年はこの時ケーキがどんな味がするのか分かっていなかった。
なんか知らんが誕生日になると出てくるものらしい ということしか知らなかったので憧れの意味もあったのだろう。
この頃は母が癌の治療と出産前で入院中で、家には父とキョーダイしかいなかった。父に連れられて銭湯に行って洗ってもらっていた記憶がある。粂井少年は自認がアレなだけで生物学上の性別が逆な訳だが、昨今騒がれるような変態的な視線を送る紳士はいなかったと記憶している。何だかんだでみんないいおっちゃんたちだった。粂井少年のような子供が風呂でキャーキャー言っていても快く許してくれていたのだから。
幼稚園の迎えはキョーダイだったり父だったりして、先生には事情が事情で伝わっていたのか、「じゃあ粂井ちゃん今日も先生とトイレ掃除して待ってよっか」がほぼ毎日だった。掃除についてはこの時先生が色々と教えてくれていたと記憶している。
この頃は楽しかったな……と思うが恥ずかしい話もあって、お尻におできができた時に病院でそれを取ってもらって、おできの痕を先生に見せようとしたことがある。園児は純粋な生き物である。親に叱られて未遂に終わったが。
幼稚園年長の時に母が子を連れて退院してきて、しばらくは平和だったけれど次第に家が荒れ始めた。
母は粂井少年に包丁や火を使わせようとして思い通りにならないとヒステリックを起こし、家事がうまくできないことに対して怒り殴るようになった。
母はこの時のことを「家事を教えようとしたがやろうともしなかった」と晩年まで記憶していたが、粂井少年はこれを「やろうとすると母が怒る」=「自分がやってはいけない」と学習していただけである。なので粂井さんは今も母の味というものを作ることができない。最も、教わってもいなければ母が料理をすることは稀だったので再現することが不可能なのだが。
母と父が喧嘩する日が次第に増え、その光景に晒された粂井少年はピエロのように笑って間を取り持つことを覚えた。アダルトチルドレンの分類でケアテイカーなんてものがあるのだが、多分それと性質は近いと思う。うまく機嫌を取ることに成功すれば良いが、仕事で疲れて帰ってくる父と病み上がりでメンタルが不調な母の機嫌をまとめて取ることなどそうそううまくいく訳もなく、大体は怒りを買って終わりである。
この頃から、粂井少年は家から追い出されるようになっていた。言うことが聞けない奴は出て行けという躾のつもりの虐待である。
最も、昭和の時代はこれが当たり前だったようで、彼らに虐待の意識はなかったのかも。更に言っちゃうと、うちの両親はいずれも虐待されながら生きてきたらしいので、何が正しい躾の方法なのか分からなかった可能性はかなり高い。
そうだったとしても、冬に裸で子供を追い出すのはどうかと思うがね。
粂井少年は物置の中で寝ることを覚えた。布団が無いので腹は冷やすが、外で凍えるよりはマシである。半分ホームレスみたいな生活してんな。
1日の飯が学校の給食だけ という日も増えてきて、朝飯と晩飯は母の怒りを買えば出てこないのは当たり前。
小学生になった時にはキョーダイが外見のせいで虐められており、その下ということで真っ先に虐めのターゲットになった。
まあ、毎日同じ格好で風呂に入れさせてもらえない変な奴は、遅かれ早かれ虐めに遭うのも無理はないと思うが……。
母の機嫌を損ねたら風呂も飯も禁止で、居場所は家の外だったからね。仕方ないです。何のために生きているんだろうか。この頃からずっと考えていたような気がする。辛うじてこの頃は「親を怒らせる自分が悪い」という価値観があったので、まだまだ純粋な子供だったと思う。
自分が生きてない方がみんな嬉しいんだな と思うようになったのは小学2年生の頃だったかもしれない。この頃の担任が酷かった話は前にも書いたが、母が担任になったというレベルのヒステリックを起こす先生だった。他のクラスの担任の優しい先生たちがいなかったら家の裏の川に飛び込んで死んでたと思う。
小学3年の時は転校生の子が唯一の友達で、しかし、この子は粂井少年という浮いてる存在と仲良くなってしまったばかりに総スカンの運命を背負ってしまった。結果として1年経たずに転校したのは、理由は分からないけれど自分のせいなのかなと今でも思っている。
小学4年の時は色々吹っ切れて周りのことを気にしなくなった。この頃から記憶がはっきりしない。
小学6年の臨時教員の先生が「遅刻魔って聞いてたけど自分が赴任した時に頑張って遅刻しないように来てくれて嬉しかった。卒業まで頑張って」って言ってくれたのと、ぼくが書いてた小説を宿題代わりに読んでたことだけ覚えてる。
学校の先生たちは虐めも虐待も見て見ぬフリだ。ただの問題児としか思われていなかった。これは中学校でもそうだった。
中学校の学年主任がこれまたすぐヒステリックを起こす人で、以来粂井少年は「相手のことを延々とグチグチ責めるように言う女の人」と関わると過呼吸を起こすようになった。あと会話不可能になる。これは今も残ってるなぁと思うことが仕事で多々ある。
んで、結局タイトルのことについてどう考えていたかと聞かれると、この頃は16歳になるまでに死ぬのが夢だったような気がする。
自分のことなんてどうでも良くなっていた。何だかんだで生き延びてしまって、高校でキョーダイが癌を発症した時に、男友達のTくんに「俺が癌になったら治療しないで死ぬわガハハ」と平然と話していた辺り、この頃には死ぬことだけが救いだと思ってたのは間違いない。「そんなこと言わないで生きてくれよ」とTくんからは悲しげに言われたけれど、粂井さんは今やTくんの連絡先さえ知らない。友人なんてそんなものなのだ。
なので、粂井さんが死んだら生きていけないとか、生きていてくれた方が嬉しいとかは今でもすべて虚言だと思っている。
だってみんなぼくと出会わなくても生きてこられたでしょう?
ぼくがいなくても生きているでしょう?
そういうことです。人間は簡単には死なないので。皮肉にも虐待受けて生きてる人間がそこは保証しますよ。
早く死にたいなぁと思いながら生きてる奴が目の前にいるんで。
何の話でこんな話してるんでしょうね。またトラウマの発作かな。
迷惑な奴だなぁ。