昔から好きではないというか、信じてはいけないと思っている言葉のひとつ。
「みんなが粂井さんのことを待ってるよ」
紐解いてしまえば、PTSDなんだろうなとは思う。
担任にそう言われて教室に入ったら、「黴菌が来たぞ!」「帰れ!」「気持ち悪い」口々にそう言われた。
あれから20年以上経つが、今でも悔しいのか悲しいのか分からない涙が出てくる。
「みんながあなたを待っている」は、ぼくは好きではない言葉のひとつだ。
俺を待っている者などいるわけがない。
それを言うのは、言う側の人間の都合であり、何らかの思惑があるからだ。
どうせ待ってる奴なんているわけないだろう と思いながらあるSNSをちら見した。
タイミングが悪くて噛み合わなかっただけかもしれないが、そこには誰もいなかった。
ほらな。やっぱり俺を待ってる奴なんているわけがなかったんだ。
そう言い聞かせてそこを閉じた。
安心すると同時にどっと疲れた。
言う側に悪気はないと思うので、責めるつもりはない。
ただそこに来て、同じ空気感を感じることのできる空間で騒ぎたかった。
恐らくそれが、ぼくを呼んだ理由なのだろう。
でもそれならそれで、「みんなが待っている」なんて言葉をチョイスしてほしくはない。
こんなに後味悪くて苦虫を噛み潰したような憂鬱を味わうだけになるからだ。
期待すればするだけ損をする。期待するだけ無駄ということを知っていてよかった。
あの日の粂井少年はそれを知らなかったから、「みんなが待っているよ」と言われたことに期待して傷を得た。心がズタズタになって苦しくて悲しかった。
いじめを受けている人外が、誰かが待っているなんて言葉をそのまま鵜呑みにしていいわけないじゃんね。
きっとあの日の担任も、傷をつけるつもりはなくて、単に遅刻して教室に入ろうとしない問題児に教室に入ってほしかっただけなのだ。
自分のクラスでいじめが起きているという面倒な事案を認知もしないまま。
面倒事は回避できるならできた方がいいしね。
まあ、過剰反応してこうやってグダグダとネガティブを書き連ねても収まらないくらいには、「みんなが待っている」は嫌いなことが伝わればいいかなと思ってみる。
そうすれば、これだけネガティブを書き連ねて苦しい気持ちも少しは浮かばれるだろう。
同情も、哀れみも、賛同も、あらゆる意見は必要としない。
だからコメント欄は閉じておこう。