このブログを読んでいる人には当たり前に曝け出しているが、ぼくが虐待育ちであったことは何度かお話ししている。
先日、仲良くさせていただいている人とお話していた時に、
「家庭環境が歪んでいた人は、被害者ではあるし可哀想だと思うけど、どれだけいい人そうに見えても仲良くしたくないんだよね」
という話をされてからずっと引っかかっていた。
ぼくはその人に自分の出自の話をしたことはない。
話したところで無益であることが分かっているのと、虐待育ちであることをCOすることはそれまでの信頼と友情を全て返上する覚悟で向き合わないといけないほど、相手の気持ちを裏切ることだと分かっているから。
この方が言っていることは何も間違っていないのは、当事者であるからこそぼくが一番よく分かっている。
認知が歪んでいるから、目の前の人が理由でなくても急に態度が豹変して、勝手に病んで、信じられないから消えろとか、自分は死ねばいいんだなどと喚き出す。
残念ながら、それがぼくたち虐待サバイバーという負の遺産を持った生き物だ。そしてそれを言い訳にしたり、盾にして被害者面をして甘んじる奴は同族嫌悪をしている。
それでも、そうしたくなる気持ちが分からないでもないので憎み切ることもできない。
できれば一般人と関わらず、誰とも縁を持たない方が平和なのは間違いないと心のどこかで信じている。
どこまで行っても、ぼくたちは愛情を与えられて生きてきた一般人とは価値観が相容れることはない。平行線ならそれに越したことはないのだが、どうしてもぼくたち恵まれなかった者たちは憎みたくなくても恵まれていた環境に嫉妬してしまう。
それで何度も縁を壊してきた。だから人を避けることを選んだ。
ネットは素性が分かりにくいから、数度オフで会ってもあまりバレたりはしない。
それでも、いつか綻びは出るから、それまでにいなくなる方がいいに決まっている。
そろそろこの人からも離れるべき時が来たのだろう。幸い相手は幸せの真っ只中にあるということが分かったので、今なら離れてもそこまで深く傷つくことはあるまい。
彼女に祝福を。どうかぼくの預かり知らぬ遠いところで幸せになっていただきたい。
そこに下賎な存在は必要ないのだ。