アカウントの転生の文化は悪なのか

2024年3月21日

何の話だという方向けに念のために説明。

SNSでの転生とは、自身が運営しているアカウントを削除した後、別のアカウントを作り直して運営すること。
この転生というもの、よほど名前にブランド制を持たせていない限りは同じ名前を名乗ることはありません。

ぼくがインターネット根無し草をしていると言っているのは、この転生を何度でもし続けてきたから。

 

で、だ。

 

ある人とお話しした時に、この転生について「転生者は転生先で絶対に悪口を言ってるから嫌いだ」という趣旨の話をされた。

ぼくからしてみると「へー、そういう人もいるんだね」くらいの気持ちである。

 

確かにぼくは過去何度も転生をしてきたし、その度に記録もつながりも(例えそれらがどれだけ惜しかったとしても)ほぼ抹消してきた。

推し語りが消えるのは本当はかなり辛いよ。

ただ、それ以上に、あるいは思っている以上に、人と人の混じり合いって色々あってイヤになることもあると思うんだ。

そのイヤが限界突破した時、ぼくの場合は記録を抹消する ということをする。

 

ただ、その積もり積もったイヤを新しい場所でいきなり吐き出すのは、その後の運用のモチベが下がるので、ぼくはそれらを表に出すことは(よほど相手の質が悪くない限りは)しないようにしている。

だって、ネガティブな話よりポジティブな話を見ていたいじゃないですか。気持ち的にもね。

ネガティブでつながる関係があるのだとしたら、それはぼくには必要ない。

 

ぼくの場合、特定個人にブロックしてもキリがないほど執着されてアカウント削除に至った ということが何度もある。

そういう経緯もあって、なおさらその人の話に出てくる人のことは共感できなかったのだけれど、そうしたくなる気持ちは分からないこともない。

だから、転生するのは気持ちが落ち着いたらというマイルールも存在している。自分が落ち着いてないとマジでネガティブ製造マシーンになるだけだから。

 

転生しない人はイヤなことがあっても耐えうる精神力があるってことだもんな、すげえや と毎回お話させていただいている。

ぼくは「逃げるが勝ちだ!」で生きているので、あまり粘ったりしない。

 

で、なんでこんな話を記事にしたのかというと、それは単なる隙自語りとお気持ち表明に過ぎないんだけど、

転生者の中にもワケアリで転生せざるを得なかった人もいるって知ってもらいたいなあと思って。

 

いかすきーの例のモデレーターにされちゃったなりきりアカウントのアレもね、元を正すとそういう経緯だったりします。ハイ。

いつか書くかもな。