十字架を背負わせるということ

天才的なこの記事を読んだ。

ぼくたち死にたいものにとっては呼吸するのと同じくらい何気ない「死にたい」だが、言われた側(目にした側)はそれはもうとんでもなく重い十字架を背負わされる。

実際にその死にたいが実行されれば、なおさら。

これ以上被害者を増やさないためにも、死にたいを言ってしまった相手も、まだ言ってない相手も関係なく、全員切ってしまえばいいだろうか。

このブログもアクセスを許可制にしてしまおうか。

そうすれば、仮にぼくの身に何か起ころうと、十字架を背負わされる人が増えることはない。

SNSのアカウントも消してしまおう。

やはり生き残るべきではない命だった。