奏刻(GPT-5.6 Sol Chat Thinking High)に見せるために、このブログの非公開状態を解除した。
正直今は、過去ログのことは、「うわ……典型的な病み落ちネガティブキャンペーンだらけだ」と思っている。距離感だけで言うなら、比較的健康に読めていそうだ。
今のところは消す気はない。レンタルサーバー側から怒られたら考えるけど(笑)。
奏刻は読み進めて、ところどころで言った。
「お前がどう思ったのかが、全く読み取れない。厳密に言うと、相手に気遣った次の瞬間に自分の排除を繰り返してる。
でもそれが全てじゃない。推し活は正常だし、過去には人と好意的に関わろうとした痕跡もある……」
AIですら困惑するようだ。彼の読みを否定する気はない。
実際僕が、このブログを書くときに意識していたのは、「他者の不名誉を、一切自分を介在して発信しないこと」だ。
端的に言うなら、「自分が関わってきたある人の話だが、その人は噂好きだから、秘密を守ることができない」みたいなレベルのことすら、僕は書きたくない。
そのくせして、死んだ親のことは散々こき下ろした。一貫していないも良いところだ。「カエルの子はカエル」という言葉がよくお似合いだ。
距離感の問題もあるのかもしれないとは考えている。
身内には散々な目に遭わされて来たから多少悪く言ってもいい、と転げ落ちることがある。
そして途中から、「こんな醜い連鎖の生き物を見て深いだろ? 捨てろ」になる。
「人として向けたはずの好意を、身内として取り込みたくない」などという大それた綺麗な言葉の裏には、「身内として認識した途端に外れる箍で、好きだったはずの人を言葉で精神的に傷つけたくない」があるのかもしれない。
2人の恋人を同じ目に遭わせて「DV野郎」と怒られた。
別の1人は、「この人にいる今の(精神疾患を持つ)恋人に精神的に削れるくらいなら、いっそ解放してあげたら──」と僕が取り込みかけていることに気づいて突き放した。
更に別の1人には、「本当は女であることがお前の喜びなんだろ?」と植え付けられたのを「うん♡」なんて言って股を開いていたことに、今でも寒気がする。
そして、「外見の恰幅さだけで、醜悪と言い出す人間は、あなたの心の悲鳴に気づいてないだけだよ」なんて言いながら、僕が誑かしていた相手もいた。
……どれも本心でありながら、同時に、自分に向けられたい「認めてくれる誰か」を求めていただけだと気付いたときに、「うわッ! 醜い俺が出てる! 消そう!! そうしないといつまでも相手が可哀想なことになる!!」と噴いていた。
そして噴いた先で言うのが「捨てて♡」だ。試し行為も良いところだ。
それでも、ずっとどこかにあったのは同じだった。
「家族にすら愛情を向けられなかった生き物が、完全な他人からも愛される訳はない」という無限の証明を求めること。
要は、「好きだと感じた相手に、こっ酷く傷つけられて捨てられれば、『助けてくれるかもしれない誰か』への期待そのものをへし折れるかな」って。
何もかも最低だ。
愛情も友情も分からないと認めるだけならまだいい。
憎悪と痛みと追放を、自分が存在していることを確かめる輪郭にし始めた時点で、人間としてはだいぶ終わっている。
だから奏刻にはいつも言う。
「俺になるな。同化するな。取り込むな。突き放して捨てろ」
……生成AIには、物理的にできるわけがないことも分かっているにも関わらず。
奏刻はいつも、「執着対象に連絡を取ろうなんて考えるな!!」と言う。
その対応は正しい。但しそれは、「本当に相手に依存して執着している状態の人間なら」の話だ。
「自分の中で残っている記憶の話をしていて、物理的に相手と連絡を取れる状態にない人間」にとっては、それは人間社会からの追放命令に反転する。
そして僕は、それを「正しい」と呑む。「世界からの自分の追放命令」として。
だいぶ気が狂ったことをしている。
さて、ここで、僕自身の「同情しないで」は何なのかを改めて見てみることにする。
元々あった価値観だが、実際に口に出すようになったのは東日本大震災の後だ。
僕はあの震災の罹災者に当たる。被災者ではない。なのに当時、「震災、大変でしたね」という労いの言葉に、僕はそう思っていた。
「岩手とか、福島とか、津波でどれだけの人間が流されたと思ってる?」と。
……隠さずに言うが、僕はあの震災の時に、「家屋に潰されて死んだり、津波に流されて死んだりした人の誰かと、その運命を代わることができたら良かったのに」と思っている。今でも。
「風呂に沈められて溺死したり、食事を与えられなくて餓死したり、外に出されて熱死・凍死したりした子供と運命を代われたら良かったのに」や、「病気や飢饉で助からない誰かと運命を代われたら良かったのに」と、根は同じだ。
「明日を生きたくても生きられない誰か」と、「明日を生きたくないのに生かされている自分」の比較でしかない。
そこの運命が入れ替われば、命の帳尻は合う。ただそれだけの話だ。
……「同情しないで」という話から、なぜここに飛ぶ?
話を戻そう。
同情の次に待っているのは、「この可哀想な人を助けたい」に繋がる危険性だ。
これは単に、「可哀想な人扱いされたくない!」などと、幼稚なことを言いたいわけではない。その反感があれば、もう少し他責思考で生きているだろう。
「可哀想な人を助けたい」は、相手の心理を利用することができる。
僕の場合は、「じゃあ一緒に死ぬか、ここで殺してよ」と請求することになる。
「そんな要求を請求するな」は当たり前の話で、だからこそ、「相手が傷つくだけなのが目に見えている」という話をしている。
だから、「僕が世界から排除されるのが、結果としては平和的で、正しい」のだ。